週刊ゴング(しゅうかんゴング、Weekly Gong)は、1984年から2007年まで日本スポーツ出版社(NSP)が発行していた週刊のプロレス専門雑誌。略称は『ゴング』『週ゴン(しゅうゴン)』。毎週水曜日に発売されていたが、2007年3月14日発売の1168号(3月28日号)を最後に「一時休刊」となった。
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ゴング創刊当時は「ゴングのマスカラスか、マスカラスのゴングか」と謳ったほどミル・マスカラスをプッシュしていた。主力ライターの菊池孝がジャイアント馬場のブレーンだったことから、ターザン山本ら週刊プロレス系のライターが全日本プロレスのブレーンとなる1990年代まで、誌面構成は全日本プロレスへ傾倒していた。週刊プロレスがSWSの取材拒否を受けていた頃、そして天龍源一郎と関係の深い小佐野景浩が94年に編集長になってからは、SWS及び派生団体のWARに偏った誌面構成となる。1999年に「GK」こと金沢克彦が編集長に就任してからは、長州力を贔屓とした記事が顕著に現れる。基本的に新日本プロレス、他社の取材をあまり受けない長州関連の記事が大きくメインで扱われ、他の団体で大興行が行われた際も、新日本関連の記事が表紙で扱われるなどした。その新日本プロレス中心の誌面構成には「新日広報誌」とファンだけでなく、小川直也などレスラーからも揶揄された。
ライバル誌である『週刊プロレス』が、編集長ターザン山本の下で売り上げ高の全盛期を迎えた時期には、大きく水を空けられていた。しかし、小佐野編集長時代の1996年に週刊プロレスが新日本、WAR、UWFインターナショナルなどからの取材拒否を受けている間は、その効果により実売数で初めて追い抜き、金沢編集長時代には1万部以上の差をつけていた。なお、2004年の金沢の編集長退任とともに元の数字へ戻っている。
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上記の様に新日本に傾倒した記事を取り上げていたものの、週刊プロレスが全日本やSWSなどに行ったような他団体へのあからさまなバッシングは行わなかったため、取材拒否等は受けなかった。クラッシュギャルズブームの最中、『月刊ゴング』(当時)は女子プロレスは取り扱わないという編集方針だったが、その後、誌面刷新とともに取り上げるようになった。2006年には女子プロレス興行「レディゴン祭り」、インディー団体を集めた「インディーサミット」を開催した。
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- 初代編集長:舟木昭太郎
- 2代目編集長:清水勉
- 3代目編集長:小佐野景浩
- 4代目編集長:金沢克彦
- 5代目編集長:吉川義治
- 6代目編集長:木幡一樹